物質主体・物主知のみ偏(かたよ)った為に、神の善悪の立て別け(たてわけ)の為に置いた手・置き手にて仕組みの大事を見失い、神や人の前では顕(あら)わに出来ない隠しごとを、神の使いの守護霊も、神も見ていないと思い込み、神の仕組みの置き手すら、平気で犯しっぱなしの穢(きたな)い想いと行ないの波や、神の子(隣人・同胞)を苦しませ、悩ませる為に起こる恨み、憎しみ、そねみの念波は汚濁の霊波と化し、濁微粒子(だくびりゅうし)となって、霊界では神の嫌がる曇り(雲のようなもの)煙たいものをモクモク煙立たせて、自身の肉体の中の魂・霊体に詰め込んで来ているのを言うので、神より見るならば「膿(うみ)だらけ」と言う様相で有り、臭く鼻つまみものであります。
それだけ「(病貧爭災による)贖(あがな)い」しなければ、「アカナヒ(明かな霊)」とならない様、致した相(すがた)を言うもので、あなた達神の子は、そのことに気が付くまでは、人間贖(あがな)わされ、気付かなければその死に様にて、あの世に於いて気付かされる身となってしまう程、自身が求めて為したのを「包み」「ツミ」と言うのです。