神は大愛ですから、大慈感(だいじかん)と大非感(だいひかん)を具有(ぐゆう)するのは、汝等(あなた達)に既に示した通りです。
ですから神は全てに情けを持ち給うと共に「天地の仕組みの置き手」即ち「神の理」(摂理●神理)は厳(げん)として定めてあって、万象も人も永劫(えいごう)に「乗り行く」べき「法(のり)」は保ち且つ保たせんとします。
神の真(まこと)の本質はこれです。
故に神は愛であると共に真であります。
ですから神は、神の子「=言い換えれば人」は地上の神の代行者と思し召しあれば、天の乗法(じょうほう)を犯した悪い行為や、神の利用、神への裏切りについては眉をひそめ、気付かせ、改めさせんと願い、遂には泣き、悲しみ、時として怒ります。
民族に戒告、天譴(てんけん)など降りるのはこれによります。